プロダクトデザイナー★半杭誠一郎の生き方

プロダクトデザイナー★半杭誠一郎の生き方 Vol.1

プロダクトデザイナー★半杭誠一郎の生き方 Vol.1

ARTISAN&ARTIST*(以下A&A社)を設⽴し、数多くのバッグやポーチ等のデザインと開発を⼿掛けて⾼い評価を得る傍ら、カメラアクセサリーに製品ジャンルを広げて多くのプロカメラマンや写真愛好家の⽀持を得てきた半杭誠⼀郎さん。そのモノづくりのポリシーや今後の夢について、お話しいただきました。(聞き⼿:野⼝ 智弘) 撮影:こばやし かをる    ⼯業デザインとしての機能美を追求し続けたい 野⼝(以下:N):デザイナーになろうと思ったきっかけは? 半杭(以下:半):⾃動⾞デザインに憧れて桑沢デザイン研究所に⼊ったのですが、先輩デザイナーから「何年もインパネのデザインだけやってる」という話を聞いて、⾞のデザインも分業が進んでいることを知りました。それで、1 ⼈で完結できるデザインがやりたくて、銀座の⽼舗靴店に⼊って婦⼈靴のデザインを始めました。⾰を扱う中で、⾃然の流れとしてバッグなども⼿掛けるようになったんです。   N:その後、アルティザン&アーティスト(以降:A&A)を設⽴。メイクアップツールなどに展開していくわけですね。 半:当時、メイク収納品はサテンの豪華なものばかりだったので、もっと機能的なものを作りたかったんです。 N:当時の評判はどうだったのですか? 半: 最初は全然売れなかったのですよ、価格が⾼かったし。ところが、バーニーズやレイジースーザンにO E Mで卸すと、驚くように売れだしたんです。 プロのメイクアップアーティストの⽬に留まって、そこからC A、アナウンサー、⽔商売の⽅など、化粧に関⼼が強い⼈達が買ってくれました。 中でも⼥性誌25ans(ヴァンサンカン)で紹介されたポーチは驚くほど売れましたね。   ⼤ヒットしたバーニーズニューヨークのポーチ(1992 年頃) N:プロの評価を得られたことが⼤きいのですね。そして販売チャネルも拡⼤していく。半:当時は30店以上の百貨店に出店していました。いずれも⼀階の⼀等地に海外のハイブランドと並んでの展⽰です。銀座松屋ではシャネルより坪効率が⾼いこともありました。 多くのファッション系アーティストが訪れた当時のA&Aショールーム(池尻⼤橋)   N:その成功をベースに、さらにカメラアクセサリーへと広げていくわけですよね。 半:当時、ライカユーザーのカメラバッグといえばBILLINGHAM(ビリンガム)かDOMKE(ドンケ)でした。DOMKE は機能的には優れたバッグですが、デザイン⾯でもっと⼯夫の余地があるだろうと思って。使いやすさとカッコよさを両⽴させたバッグが作りたかったんです。 N:カメラ好き、写真好きの半杭さんとしては、⾃然の流れですよね。そして、キャンパス地のバッグA...

プロダクトデザイナー★半杭誠一郎の生き方 Vol.1

ARTISAN&ARTIST*(以下A&A社)を設⽴し、数多くのバッグやポーチ等のデザインと開発を⼿掛けて⾼い評価を得る傍ら、カメラアクセサリーに製品ジャンルを広げて多くのプロカメラマンや写真愛好家の⽀持を得てきた半杭誠⼀郎さん。そのモノづくりのポリシーや今後の夢について、お話しいただきました。(聞き⼿:野⼝ 智弘) 撮影:こばやし かをる    ⼯業デザインとしての機能美を追求し続けたい 野⼝(以下:N):デザイナーになろうと思ったきっかけは? 半杭(以下:半):⾃動⾞デザインに憧れて桑沢デザイン研究所に⼊ったのですが、先輩デザイナーから「何年もインパネのデザインだけやってる」という話を聞いて、⾞のデザインも分業が進んでいることを知りました。それで、1 ⼈で完結できるデザインがやりたくて、銀座の⽼舗靴店に⼊って婦⼈靴のデザインを始めました。⾰を扱う中で、⾃然の流れとしてバッグなども⼿掛けるようになったんです。   N:その後、アルティザン&アーティスト(以降:A&A)を設⽴。メイクアップツールなどに展開していくわけですね。 半:当時、メイク収納品はサテンの豪華なものばかりだったので、もっと機能的なものを作りたかったんです。 N:当時の評判はどうだったのですか? 半: 最初は全然売れなかったのですよ、価格が⾼かったし。ところが、バーニーズやレイジースーザンにO E Mで卸すと、驚くように売れだしたんです。 プロのメイクアップアーティストの⽬に留まって、そこからC A、アナウンサー、⽔商売の⽅など、化粧に関⼼が強い⼈達が買ってくれました。 中でも⼥性誌25ans(ヴァンサンカン)で紹介されたポーチは驚くほど売れましたね。   ⼤ヒットしたバーニーズニューヨークのポーチ(1992 年頃) N:プロの評価を得られたことが⼤きいのですね。そして販売チャネルも拡⼤していく。半:当時は30店以上の百貨店に出店していました。いずれも⼀階の⼀等地に海外のハイブランドと並んでの展⽰です。銀座松屋ではシャネルより坪効率が⾼いこともありました。 多くのファッション系アーティストが訪れた当時のA&Aショールーム(池尻⼤橋)   N:その成功をベースに、さらにカメラアクセサリーへと広げていくわけですよね。 半:当時、ライカユーザーのカメラバッグといえばBILLINGHAM(ビリンガム)かDOMKE(ドンケ)でした。DOMKE は機能的には優れたバッグですが、デザイン⾯でもっと⼯夫の余地があるだろうと思って。使いやすさとカッコよさを両⽴させたバッグが作りたかったんです。 N:カメラ好き、写真好きの半杭さんとしては、⾃然の流れですよね。そして、キャンパス地のバッグA...