#04
美しく育つカメラバッグ
どんな機材でも、どこに出かけるにも、何を着ていても、ひとつのカメラバッグしか使わないという人がどれくらいいるだろう? 想像するのが難しい。
ファッショナブルなミュージシャンと言われて、まず名前が挙がるポール・ウェラーは、「着るものに迷うことはない、好きなものしか持っていないから」というようなことを答えていた。
カメラバッグもそうあれたらいいのにと思う。でも実際には機材の量や、撮影に向かう場所によって使い分けることになる。
それでも愛用のバッグとして真っ先に挙げられるものはある。ぼくのスタイルであるボディ一台とレンズ二本くらい入れるのにちょうどよく、普段着ならまず間違いなくフィットして、何より大切なことだが「長く使える」ことが約束されている。
それは壊れたら新品が買えるということではなく、リペアしてもらえることも重要だが、良い素材を使って丁寧に仕上げてあるということだ。”味が出る”と言われることが多いけれど、誤解を恐れずに言うなら「買ったその日が一番かっこ悪いバッグ」と言っていい。どの部分がこすれるか、どんなふうに手入れをするか、機材をどう詰めるかは、人それぞれだ。それによってカメラバッグは、その人だけのものに育っていく。
丈夫さで言えばバリスティックナイロンはすごいが、残念なことに味は出ない。一年後も新品みたいだ。
愛用と呼ぶなら、やはり革とコットンが最強だ。革は重く、コットンは水に弱いが、もちろんそれはケアしてある。革を使う部分は吟味され、コットンを加工することで質感を損ねず水に強くしてある。
コットン特有の”アタリ”と呼ばれる擦れた部分の色落ちと、使い込んだ革とのコントラストは抜群に美しい。そんなふうに育ったカメラバッグを持っている姿を見ると、きっといい写真を撮るだろうなと思わせる。テクニカルな上手さはなくても優しい写真を撮るはずだ。良いものを長く使う気持ちは、とくにスナップ写真のまなざしに通じるところがある。
インダストリアのバッグを見て、その質の高さを感じたいと思ったら、革を縫い合わせた角の部分を見て欲しい。肉厚な革を使えば縫うのは難しく、当然だけれど角が作れない。そこが膨らんでしまっているバッグをよく見る。ビシっと角のエッジが立っているのに革の手触りが均質で、重いものを入れても形が崩れない。
数年くらいして、ふと新品と見比べたとき、交換してくれると言われても遠慮したくなるくらい、自分のバッグに思い入れが加わっているはずだ。
デジタルカメラは極めれば道具だ。設定さえ引き継げるなら新品がいちばんいい。でもそれを入れておくカメラバッグは育つのだ。
新潟県両津市(現在の佐渡市)出身。公務員を経てフリーに。
タレントなどの撮影のかたわら、スナップに定評がある。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞に寄稿。著書には「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」(ともにエイ出版社)などがある。現在は写真教室の講師も務める。
自称「最後の文系写真家」。データや性能だけではないカメラの魅力にこだわりを持つ。